『古典』の「個展」

『古典』の魅力に気づき、多くの人に古典の魅力に気づいてほしいので開設しました。

【書評】『高校生が読んでいる武士道』

こんにちは。MASANORIです。今コロナのせいで外出を控えなくてはならないので沢山本を読んでいます。これからどんどんアップしていく予定なので読者になってくれると幸いです。

 

今回はBOOKOFFで見つけた『高校生が読んでいる武士道』の書評をしようと思います。

この本は新渡戸稲造 著『武士道』の解説本になります。

内容は日本の美意識や精神を書いた本です。

「日本には宗教教育は無いのか」

「武士道はどのように出来ているのか」

「義・仁・誠とは何か」

これらの疑問にうまく答えてくれた本でした。

では今からこの3つについての疑問を解説と自分の考察を踏まえながら書いていきたいと思います。

 

目次

 

日本には宗教教育はないのか?

皆さんはこの問いに答えることができますか?

ちなみにこの疑問は武士道の著者である新渡戸稲造ラブレー教授という人から受けたものです。そしてこの問いから新渡戸稲造は10年にもわたって『武士道』を書き上げました。

では10年かけて新渡戸が見つけた答えとは何だったのでしょうか!!

結論から言いますと、答えは「日本には古来から宗教教育はある!」です。

「えー!日本は無宗教なんだから無いでしょ!現に公立の学校には「宗教」という科目は無いじゃないか!」

という答えが多く返ってきそうです(笑)

しかし、新渡戸は「ある!」と強く言い放ちます。

実はその科目は「道徳」なのです。

皆さんも小学校や中学校の時に習ったのではないでしょうか。

当時はいまいち「道徳」の科目がある意味が分からなかったですね。

「人を傷つけてはいけない」「思いやりを持つようにしよう」など当たり前じゃないか!とつっこみたくなるようなことを教えられていましたよね。

実は「思いやりを持ちなさい」という教えは『論語』から来たものなのです。

子貢問うて曰く、一言にして以て終身これを行なうべきものありや。子の曰わく、其れ恕か。己れの欲せざる所、人に施すこと勿かれ。

訳:子貢(孔子の弟子の名前)がお尋ねしていった。「一言だけで一生行っていけるということがありましょうか。」先生は言われた、「まぁ恕(思いやり)だね。自分の望まないことは人にも仕向けないことだ。」

引用元:岩波新書論語金谷治 訳

このように道徳の授業は古代中国の教えや神道、仏教の教えが基になっているのです。

そしてこの論語神道と仏教が組み合わされて作られたのが「武士道」なのです。

 

 

武士道はどのように出来ているの?

では武士道とは何なのでしょうか。新明解の国語辞典には、「武士階級に発達した、独特の倫理意識。」と書かれています。

ということは武士の時代に生まれたことが分かりますよね。

新渡戸は武士道が生まれたのは封建制が誕生した時代、つまり鎌倉時代と述べています。そして封建制の誕生、中国の儒教、日本の神道、インドの仏教が合わさって武士道ができたのです。

 

封建制とは簡単に話すと、家臣が将軍のために忠誠を尽くすかわりに、王はその褒美としてお金や土地を差し出すということです。

この封建制があったことで秩序ができ、うまく国を動かすことができたのです。

そしてこの秩序を守るという意識ができたのは中国の儒教、日本の神道、インドの仏教によるものです。では順に見ていきましょう。

儒教

まず、儒教です。儒教が武士道にもたらしたのは知行合一という考えです。

知行合一とは知識を得るだけでなく、それを行動に移しなさいという教えです。この考えは中国の思想家、王陽明がとりあげた思想です。

また新渡戸は、この王陽明の思想はキリスト教の「聖書」と類似点があると述べています。その類似点とは「実践」です。

聖書には神の義を求めるために神に対して祈りなさいという教えがあります。

これは神の義を求めるためには、「神の義」というものを知識として考えるのではなく、神を崇拝することによってはじめて「神の義」というものが分かるということです。

確かに「知行合一」と同じ考えですよね!ここに類似点を見出した新渡戸は本当に教養のある方だと思います。

神道

神道が武士道にもたらしたのは「主君に対する忠誠と愛国心です。

新渡戸は神道の教えが主君に対する忠誠と親に対する孝行を教えるものであったから、自分の方が上だと他人を見下すような武士でも服従する心を養うことができたと述べています。

でも主君に対する忠誠とか、親孝行とかって儒教の教えじゃないの?と疑問に思った方もいるのではないでしょうか。

新渡戸によると実は儒教が伝わる前から、このような教えは神道にあったと述べていました。

また、新渡戸はここでもキリスト教と比較をしています。

その比較はキリスト教にあって神道にないもの、「原罪」という考え方です。

「原罪」とは人間の祖先であるアダムとイブが蛇にそそのかされて神様によって禁じられていた知恵の実を食べたことにより、楽園から追い出され、人間には生まれつき神様に背いた罪があるという考えです。

この「原罪」があるからこそ、人々は神と契約を結び、それを守らなければならないという教えが「キリスト教」なのです。

神道には「原罪」という考えはなく、むしろ、人間の心には神様の魂が宿るとされています。

この人間に神様の魂が宿るからこそ、愛国心が生まれるのだと述べています。

仏教

いやー説明が長くなってしまい申し訳ありません(笑)

最後に仏教が武士道にもたらしたのは、運命に身を任せる考え、どんなことがあっても冷静になりなさいという教え、死を厭わない心などです。

これらは「禅」の思想だと新渡戸は言います。

「禅」とは、瞑想することによって自己と絶対を調和させることです。

この絶対とは私の考えだと、運命と同じ意味なのではないかと思いました。

つまり、瞑想することによって主観的に考えたものを冷静に見つめなおし、それを自分の運命に任せるということです。

 

義・仁・誠とは何か?

武士道には7つの基本的概念があるといいます。

その7つとは義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義です。

全て説明してしまうと長くなるので

この中でも義・仁・誠について説明していきたいと思います。

義とは何か?正義をもって行動することです。

義はサムライの中で最も厳格で正しい掟です。どのくらい大事かというと

才能や教養があっても「義」が無ければサムライになれないと言い切ってしまうほどです。

孟子「義とは人の道である。」と説き、イエス「我は道を失った義の道そのものである。」と説きます。

ここでも、新渡戸は東洋と西洋の共通点を見出してますね。

私たちも自分の「義」というものを見つめなおした方がいいかもしれませんね。

仁は他人に対する愛情や寛大な心のことで、人間の魂が持つべきあらゆる徳目の中で最高のものです。

孔子孟子は「不仁にして国を得る者は、之有り、不仁にして天下を得る者は、未だ有らざるなり。」と説いています。

この意味は仁の心が無い人が国を治めた例はあっても、仁の心が無い人が天下を治める例は未だに無いということです。

 

また孔子の教えが載っている『論語』には「仁」という言葉が一番多く使われているそうです。

これは孔子が仁を重要視しているかが分かります。

 

そして、西洋では仁とは「愛」である、と新渡戸は言います。

 

キリスト教の基本的概念は「隣人を愛しなさい」というものです。

 

このように東洋も西洋も言葉は違えども同じ概念を最も重要視しているものなのです。

 

誠とは何か。誠は「誠」という字を分解すればわかるといいます。

分解すると「言」と「成」つまり、言葉で言ったことを成し遂げることです。

誠という徳目は言葉にすることによって得るものです。

ことわざに「武士に二言はない」というものがありますが、その理由は誠を大事にしていたからなんですね。

嘘は義にも反しますし、誠にも反します。だから正直に生きよう。ということです。

まぁ、ついていいウソも中にはあると思いますがね。

 

まとめ

いかがだったでしょうか。「武士道」という名著はサムライの心を西洋の古典から東洋の古典まで幅広い観点から書かれている本です。

また本書は原本の『武士道』でなく、解説本となっているので

「古典を読んでみたいけど格式が高い」

「古典だと難しいから、噛み砕いた本が欲しい」という方にお勧めの本です。

発行日は2011年なので書店で手に入れることは難しいです。

なので下のリンクから飛び、気になった方は読んでみてください。

 

【陰翳礼讃】昔と今の日本の美意識

こんにちは。MASANORIです。 

このブログは「古典を世に広める」ことをテーマに日本や海外の古典の書評をしていくものです。

今回は日本の美について語っている『陰翳礼讃』を読んでみました。

結論から言うと「今の日本人にはあまり合わないかもしれないが、今の日本人でも本書の言いたいことは分かる気がする」という感想です。

では初めに内容を簡潔に、今の人達ならどういう風な印象を受けるのか、を自身の考察を交えて語りたいと思います。

 

 目次

 

本の概要

この本が発売されたのは1933年で著者は谷崎潤一郎

彼は小説家で明治末期から昭和初期まで生きた人で、「陰翳礼讃」は彼が43歳の時に書いた随筆集です。

主な内容は「日本の美意識を改めて見直す」ことをテーマとして書かれており、

また、日本の美意識を日本の生活から考察しています。

早速見ていきましょう。

 

1厠(トイレ)

彼は厠は精神が休まるところだと同時に日本建築物の中で最も風流なところだと述べています。しかしそれにはいくつかの条件を満たさないといけないとも語っています。

条件は薄暗さ静かさ清潔さです。

理由は薄暗さと静さがある狭い空間があることで自己を見つめなおすことができるからです。

また清潔さは言うまでもなく、汚く臭い所よりも綺麗である方が心が静まるからです。

 

 今との比較「厠」

現在私たちは本当にトイレに薄暗さを求めているのでしょうか。

電気社会で暮らしている中でトイレを電気のライトをつけないままする人はいないでしょう。

しかし、著者が厠に求めている条件のうち2つである清潔さと静かさは現在にも通じますよね。

 また、トイレで考え事や勉強する人達は今でも多くいます。

 理由は「集中できるから」でしょう。

 私たちは暗さは求めていないものの、「個室」という閉塞感を求めていると思います。

 個室があることで初めて己と向き合えるのです。

 例えば、風呂の浴槽、お風呂に入ることで体を清潔にし、湯船でつい考え事や独り言をしてしまうことってありませんか。

だから、日本人は「個室という陰りは無いが派手ではない閉塞感」というものを求めているのではないでしょうか。

 

2紙と食器

ここでは東洋、西洋それぞれの紙と食器について語りたいと思います。

 谷崎は東洋の紙と西洋の紙の比較でこう語っています。

 

「東洋の紙は温かく、初雪のような柔らかい印象を受け、西洋の紙はツルツルしていて恐ろしい印象を受ける。」

 

 

また、食器を見ても東洋と西洋の違いが分かると述べていました。 

東洋は漆を使った漆器や土と水を合わせて出来た粘土で作った焼き物が有名です。

一方、西洋は銀、錫などを使い光沢があるように作られた陶器が多いですよね。

 

谷崎は日本の食器を褒めています。

漆器の蓋があることで味噌汁の中身が分からないというワクワク感を楽しんだり、

普段から光沢のない漆器が光に照らされると高級感が増して、より神秘的に感じたりすると述べています。

しかし、西洋の食器は白を基調としているので汚れが目立ち、光の反射で眩しく感じてしまう。

そこが西洋の食器が東洋の食器よりも劣っている所であるそうです。

 

今との比較「紙と食器」

まず紙についてですが、今では和紙を普段使いする日本人は少ないと思います。

なぜなら、現代はコピー技術が発達しているので和紙よりも西洋の紙が好まれているからです。

また、多くの学生が使うルーズリーフはリチャード・プリンティスエッティンガーというプリンストン大学の学生が1854年に発明したそうです。

このように西洋の人達の発明は合理的で生産的なものが多い気がします。

一方日本の和紙というものは西洋とは対照的に情念的なものを持っている気がします。

和紙は様々な材料で作られます。代表的なものは麻、梶の木から作られる穀、檀などです。 

昔の日本では、懐紙というお菓子の上にひく紙として男性が好んでいたのは厚手の檀紙に対し、女性が好んでいたのは薄手の雁皮紙です。 

このように男女によって同じ用途でも紙の種類が違うということは、お気に入りのペンを使いたがるように愛着があるものだと思います。 

一方、西洋の場合は多少の愛着はあると思いますが、ほとんど差が無いので気にしないし、紙の質に対しては偏りが少ないので無個性であるといえます。

つまり、西洋は書けるものとして紙という手段を使いますが、日本は用途だけでなく質にこだわることでその人の個性を出すものであるということです。

 

次に食器についてですが

現代の日本の家庭では西洋の食器が多く使われていますよね。

日本の食器である漆器は伝統的な行事ごとである、お雛祭りやお正月の重箱に使われることが多いです。

したがって、日本の食器は西洋と比べると出番は少ないものの需要はあります。

 

そして気がついたことなのですが、

黒の食器にはものの見栄えを良くする利点があると思います。

例えば、ごはんが盛られるときに黒いお茶碗を使うとごはんのみずみずしさや、ホカホカ具合を表現できたり、お肉料理を黒いお皿に盛りつけることで高級感が増す気がしますよね。

こんなところにも陰翳礼讃を感じることが出来ます。

 

3建築

次に日本の建築についてですが、谷崎は日本の家の軒について語っています。

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これは屋根が家の本体よりも大きく作られることでできるものなのですが

ここに陰りがあることで軒先の空間に影ができ、陰翳礼讃を感じることが出来ると谷崎は語っています。

 

また、部屋に置く掛け軸にも陰りが垣間見えて、「床移り」を感じると述べています。

床移りとはものを置いたときにあらわれる影のことです。影があることで日光に照らされた部分と影の調和で空間を趣のあるものへとなっていくのです。

またこの部分に気づけるのも日本人特有なものではないかと語っています。

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床うつりと空間

どうですか。言葉より写真の方が分かりやすいので画像を入れてみました。

西洋の空間と比べてみましょう。

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ベルサイユ宮殿

わかりやすくバロック技術の建築であるベルサイユ宮殿で比べてみました。

こう見ると日本と西洋の建築が真逆であることが分かりますよね。

日本は質素な木製の家具、対して西洋は金や大理石で作られた家具や装飾品の数々。

日本の伝統的な家には必要最低限のものしか家には無く、現在流行中のミニマリストの部屋と似ているものを感じます。

谷崎は西洋よりも日本の暗い部屋を好みました。それは日本の美意識に感化されているからでしょう。

また窓でも西洋と日本では違いが あります。

西洋は日光が部屋の中でも差せるように窓を配置し、日本では障子を通して日光からくる温かい光を感じる。ここでも合理的な部分と情念的な部分を感じます。

 

今との比較「建築」

現在の日本の住宅はどうでしょうか。

今の日本の家屋は西洋式のものが多く、畳部屋が少なくなっていますよね。

このことを踏まえると西洋的になっているかもしれません。

しかし、現在、デキるビジネスマンの間でミニマリストという単語が流行っている気がします。これは浪費を少なくし、必要最低限なもので生活をするというものです。

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ミニマリストの部屋

この家の風景が現代では流行っているそうです。

正直やりすぎなのではないかと思うのは私だけでしょうか(笑)

でもこれって、日本と西洋の融合だと思いませんか。部屋の家具は西洋のものだけれども、必要最低限のものしか置いていないことは日本の禅の文化に傾倒している気がします。

 

まとめ

いかがだったでしょうか。原作は他にも日本の文化である能も陰翳があるから良いものであると述べています。

このように日本には昔から知らないところに陰翳があるのです。「陰翳があるからこそ、輝くものが見える、それが日本の美意識だ」谷崎はそう言いたかったのかもしれません。

 

私は現在の日本の文化は昔の日本に戻っていると思います。ミニマリストをはじめ、

鬼滅の刃渋沢栄一の「論語と算盤」など今流行っているものがほとんど日本の古来の思想や歴史が関わっていると思います。

皆さんも陰翳礼讃を読んで日本の美意識を見つめなおしてはいかがでしょうか。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

古典嫌いだった大学生が古典を好きになった話【「いき」の構造】

・自己紹介

 

こんにちは。僕は都内の大学に通う一般の大学生です。名前はMASANORIと言います。

 

僕は浪人を経て読書が趣味になり、たくさんの本を読んできました。

 

中でもライフネット生命を立ち上げた出口治明さんや明治大学の文学部教授の齋藤孝さんに影響を受けて古典を読み始めました。

 

はじめは古典の言葉遣いや書き方が現代の日本人と合わないので読みにくく嫌いだったのですが

 

「ビジネス書を 10冊読むより、1冊の古典を読んだ方が価値がある」

 

という出口さんの言葉を信じて、読み続けていたらだんだん好きになってしまいました(笑)

 

「古典の面白さをみんなに知ってもらいたい」

 

こういう思いでブログを開設しました。

 


このブログで古典の面白さを皆さんに発信できたらいいなと思います。

・今回の古典『「いき」の構造』九鬼周造 著

今回、、、といっても初回ですが(笑)

皆さんにおすすめしたい本は日本の哲学者である九鬼周造の著書『「いき」の構造』

 

 

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 この本で学んだことは2つあります。

 

1.「いき」の構成要素

2.「いき」な色

 

 

1.「いき」の構成要素

皆さんは「いき」を言語で説明できますか?

「お、あの人粋だねぇ」とか時代劇や落語なのでよく聞きますが

「いき」って何なんでしょうか?説明しづらいですよね。

また、西洋にも東洋にもない日本独特の「もの」でもあるそうです。

 

九鬼は「いき」を構造的に説明していました。

彼が言うには、「いき」には3つの構成要素があります。

それは「媚態」、「意気地」、「諦め」です。

一つ一つ簡潔に説明したいと思います。

「媚態」

媚態とは「なまめかしい」「艶っぽい」「色気がある」

という意味です。たしかに「いき」な行動をする人って大人の色気を感じますよね。

逆にいうと「いき」な行動って子供にはできないと思います。

九鬼も「いきは垢抜がしていなくてはならぬ」と述べています。ですから無邪気で純粋な子供にはできないもの、つまり大人しかできないものなのです。

「意気地」

 意気地とは武士道精神からできたものです。

例えば「武士は食わねど高楊枝」といったような見栄を張ることです。

良くありませんか?飲み会で後輩に出させずに自分がおごってあげるような場面。

あれも一種の「見栄」であり、「いき」だと思います。

「後輩の前ではいい格好をしていたい」

そういった感情が「いき」な行動を促しているのではないでしょうか。

「諦め」

諦めとは無関心とかさっぱりした感情のことです。

例えば、お金の損得を考えずに顧客に最大限のおもてなしをしてあげること。

日本以外の国では「おもてなしを受けた」分のチップを払わなければなりません。

ですが日本には「チップ」という文化がありません。

なぜか、それは「野暮、無粋」だからではないでしょうか。

「いき」とは損得を考えないでさっぱりとした感情でするものなのです。

 

2.「いき」な色

次に「いき」な色って何色だと思いますか?

 

清潔を表す白? 落ち着いた緑色?

 

いろいろ考えられると思いますが、青色が「いき」な色だと定義しています。

 

彼が言うには、「いき」は過去を擁して未来に生きている。

 

つまり、「いき」な色には冷ややかで、諦めのある黒色が混じっているのです。

 

だから、赤、オレンジなどの暖色系の色には黒味が無いので「いき」ではないらしいです。

 

・自分の観点

少し僕が「いき」な色がなぜ青色なのか、を考えてみました。

 

青色というのは様々な種類がありますよね。

 

藍色、水色、群青色など。

 

その中でも藍色は昔から日本で親しみやすい色です。

 

歴史的観点から言っても、藍色が日本で生まれたのは奈良時代。中国から伝わってきたそうです。

 

そんな藍色が江戸時代になってからはたくさんの綿織物に使われ、庶民から貴族にまで広がりました。

 

つまり、藍色の衣服や小物を身につけていた日本人が「いき」だから青色は「いき」な色なのではないでしょうか。

 

現在サッカーの日本公式ユニフォームの色は「サムライブルー」といった藍色です。

 

だから、私たちは知らず知らずのうちに「いき」な服をまとっているのですね。

 

・まとめ

いかかだったでしょうか。少し長くなってしまいましたね。

 

「いき」という言葉を日本人以外の人に説明するとしたら

 

「色っぽさ、意気地、さっぱりとした態度が詰まっている日本の美的観念」

 

と説明してみてください。

 

この本では「いき」だけでなく、「情緒」とは何か?「風流」とは何か?といった日本だけの美的観念が構造的に説明されています。

 

よかったらぜひ読んでみてください。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初投稿!!

さぁ初投稿です!!

皆さんこんにちは。「普通の人とはちょっと変わってるね」とか言われる大学生です。

ちょっとした自己紹介をしようと思います。

年齢: 20歳

職業:大学生

趣味: DJ、 美術館巡り、インテリア店巡り、読書、物書き、オレンジ色の小物集め

憧れる人: 冴羽獠、tofubeats小室哲哉、イーサン・ハント、佐藤オオキ、尾崎豊

好きな映画: ドッジボール、ミッション・インポッシブル、スターウォーズ、ジャッキーチェンが出演している映画、サマーウォーズ

愛読書: サマーウォーズ君主論、パンセ、箴言集、デザインのデザイン

好きなアニメ: ガンダムシリーズ、青豚、シティーハンター、キャッツアイ、ケロロ軍曹、キングダム

好きな勉強: 語学(フランス語、英語、ドイツ語)哲学、美術史、歴史

こんな感じです。結構変わってますよね、このブログでは読んだ本、気になっているデザインやデザイナー、インテリア全般、買ってきたものなどを紹介しようと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございます!!

これから投稿頑張ります。